
障害がある子の小さい頃ってどんな様子だったか、どう育ったのか知りたいな。
長男に障害があるかも・・・?
と、違和感を持った頃にわたしはとりあえず、その障害のことをネットで調べたり、本を探して読んだりしていました。
ここにたどり着いたあなたも、その一人ではないでしょうか?
我が子や自身に関わりある人に障害があると知ったら、特に幼い子だったら、
どのように成長していくのか、どのように子育てしたらいいのか、どう関わったらいいのか、が気になるのではないかと思います。
うちの長男の場合になりますが、記憶をたどって文章にしていきますので、よかったら見ていってください。
長男は、知的障害を伴う自閉症・発達障害です。あくまでその一例と思って読んでくださいね。
こちらの記事は
だらだら読むのめんどくさいなー
って方にもちょうどよく、わたし的にもちょうどいい備忘録です。
長男の成長の時系列だけをまとめた記事です。
より詳しく読みたい方は、ホームから各記事へ。
この記事では、 長男の成長の時系列 のことを書いています。
生まれてから小学校入学まで
0歳
息子生まれる
早産で陣痛がはじまり病院へ行くも、「胎児に元気のない可能性(子宮内胎児発育遅延)」など多々トラブルが発覚
すぐ、出産予定であった病院から母体ごとこども病院へ搬送され緊急帝王切開にて出産
産まれた際に尿道下裂と診断される
1518gと低出生体重児であったため息子だけ長く入院し25日後に退院
退院後は元気に過ごし順調に育つ
〜1歳
4ヶ月検診
心雑音があり検査 結果は機能性心雑音のため経過観察
生後4ヶ月
首が座る(修正月齢3ヶ月)
9ヶ月検診
相変わらず心雑音はあり しかし発育・発達ともに引っかからず
生後9ヶ月
お座りができる(修正月齢8ヶ月)
生後10ヶ月
つかまり立ちができると同時に伝い歩きをする(修正月齢9ヶ月)
1歳
発育・発達ともに順調に育っているように見える、健康そのもの
修正月齢で考えなくても平均体重、身長になる、運動面も追いつく
1歳2ヶ月
ひとり歩きができるようになる
1歳
1歳4ヶ月
発達の遅れに気づき保健師に相談しフォローを受け、不定期開催の親子グループなどに参加しだす
1歳半検診
発育面では順調、発達面はすでにフォローを受けているので引き続きフォローを受ける
1歳7ヶ月
こども病院にて尿道下裂の再建手術を行う
2歳
発語や模倣はなく、発達面での遅れが顕著になってくる
こども家庭センター(児童相談所)にて、週1度のグループ療育に参加できるようになる
2歳
2歳5ヶ月
初めて医師の診断にて「広汎性発達障害」の診断が出る
まだ発語や模倣はなく、発達面での遅れが広がってくる
継続して、こども家庭センター(児童相談所)にて、週1度のグループ療育に参加
3歳
風邪が悪化し気管支炎から喘息になり入院(ここから小学校1年生くらいまで喘息と付き合う)
言葉でのコミュニケーションは難しいながらも、日常生活に必要な力がついてくる
手洗いうがい、トイレトレーニングでおむつは外れるなど
3歳(通園施設・1年目)
3歳6ヶ月
療育センターに併設されている通園施設へ通えることが決まる(週に5日)
それまで1度も意味のある言葉を話さなかった長男が入園日に突然話し出す
「アンパンマン」と教室の扉についているアンパンマンの絵を見てつぶやく(1語文というより単語)
4歳
つま先立ち歩き、クレーン現象、人に興味がなく話さない、興味のある物の単語は口に出す
極度の偏食(ふりかけごはんときゅうりとしめじしか食べない)
ひたすら絵を描いている、お絵かきボードは何回も磁力がなくなり壊れて買い替えた
弟がやっていた進研ゼミのパペットであるしまじろうが気に入り、いつの間にか自分のものにしていた
4歳(通園施設・2年目/幼稚園・年中)
4歳4ヶ月
通園施設では集団療育(OT・ST)の時間などがあるが、療育センターでSTを個別にも受ける(週1回、1年間)
4歳6ヶ月
通園施設に通いながら地域の幼稚園に週に1度交流という形で通園する
この頃に診断名に「自閉症」がつく
5歳
ことばが増え、模倣をし、コミュニケーションが取れるようになってくるが、更にこだわりや苦手なものも増える
奇声が出だす(「キーキー」と文字通り言っていた)
変わらず絵を描いているが、奇妙な絵を描くことが増えた(20世紀少年のともだち、轢かれるドラえもんなど)
5歳にして熱性痙攣をはじめて起こす(脳波を調べるも異常なし)
つま先立ち歩きと偏食は少しずつ落ち着きだす
欲しいものがある時のクレーン現象はまだあり、母など支援者の手を持っていく
5歳(幼稚園・年長)
5歳6ヶ月
通園施設を卒園し、交流していた地域の幼稚園へ入園
加配の申請を出し加配の先生がつく(息子はこの先生が大好きだった)
前年より受けていたSTが終了し、TEACCHプログラムの療育が始まる(週1回、半年)
5歳8ヶ月
入学前検診とは別に地域の小学校へ見学に行き校長と面談(この時に支援学級への所属が決まるようなもの)
6歳
パニック時に母を困らせることをわざとするようになる(奇声をあげたり、汚い言葉をわざと言ったり)
絵を描いたり、制作物を作ったり、音楽が好きだったり、芸術方面への興味が広がる
基本的には単語を繋げたような話し方で、接続詞などはまだうまく使えない
会話のキャッチボールは難しいが、こちらが言っていることが少しずつ理解できるようになる
独り言にも文章っぽいものが増えてくる
小学校入学
6歳・小1
6歳・小1
地域の小学校に入学し支援学級に在籍する
国語は文字の書き取りはでき文章は読めるが、読み解くことはできない
算数は足し算と引き算など簡単な計算ならできるようになる
時計問題は苦手
どの科目でも交流級で過ごせる時間がまだ長いが、社交性はない
身辺自立は、着替え、トイレ、風呂、爪切りなど一通りのことは一応できるようになる
パニック時は奇声や汚言が変わらず出る
人の違いに敏感になる(とくに見た目にわかる特徴のある違い)
その結果、パニック時に自傷行為のようなものが出てくる
「耳切るなぁ!大きいのつけたいなー!!」と言いながらハサミで切ろうとする(怪物くんの耳が気になる)
母を困らせる内容が少し高度になる
7歳・小2
7歳・小2
この頃になると算数などの科目で、できることできないことの差がより開いてくる
掛け算や割り算は簡単なものならできるようになる、文章問題は苦手
交流級で過ごせる時間はそこそこ長いが、やはり社交性はない
実技教科、算数や国語などは一緒に授業を交流級で受けながら、別プリントや絵を描いたりして過ごす
パニックの起きる頻度が少し減ってきて、奇声も減る
落ち着いて穏やかに過ごせることが増えてくる
ことばでのやり取りが多くなってきた影響と思われる
基本的に自分から話しかけてくることは多くなく、ほとんどが独り言か、こちらからの働きかけへの反応
8歳・小3
8歳・小3
こだわりのポイントは定期的に変わるが、この頃が一番こだわりが強く出ていた
春や秋の番組改編の時期は予定調和を乱されるからか、とても嫌がりパニックになりやすい
こだわりの我慢がしづらい反面、人への興味が周りの大人(支援者)だけではなくなり少し社交性が出だす
パニック時に意味のない言葉の羅列や他傷行為が出ることがあり、自傷行為はなくなってくる
ただし、他傷の対象はほとんどが母と弟(まれに先生や同級生にもあった)
手先が器用でたくさん絵を描いたり、細かい制作物を作れる
3DSでよく遊んでいる
うごくメモ帳に絵を描いて遊んだり、バンドブラザーズP、マリオのゲームなどで遊ぶ
偏食だったのが嘘のように食べることが好きになり、太りだす
9歳・小4
9歳・小4
好きなキャラクターを描いたり3DSで遊んでいることが多い
好きな動画やアニメを見ていることも多い
紙兎ロペとアキラ先輩のぬいぐるみはお気に入りだが、この頃ボロボロになった為2代目に交代すると興味を失う
交流級で過ごす時間は減り、できそうな実技教科やホームルーム、給食時に交流級に行く
運動会や音楽会などは変わらず他の児童と同じプログラムで演し物にも基本的に同じように出て演技などを行う
人の誕生日を聞くのが好きで、人のプロフィールを覚えるのが趣味のようになっていた
10歳・小5
10歳・小5
支援学級の担任との相性もよく、本人の伸び盛りも重なり言語の発達や語彙数が増える
できることも飛躍的に増え、自身の身の回りのことだけではなく、家事を手伝えるようになる
自然学校で4泊5日を問題なく過ごす(2日以上離れたのははじめて)
3DSが壊れ修理にも耐えられなくなり、2代目購入
コミュニケーション能力が高くなり一方通行気味の会話からキャッチボールがしやすくなってくる
人への興味と茶目っ気が溢れ出し、モノマネをしたりする(この頃はピコ太郎にハマっていた)
ミッキーマウスが好きになり、とくにミッキーマウスクラブハウスをよく観ている
ミッキーとミニーのぬいぐるみがお気に入りになる
自然学校からのハガキと1/2成人式には初めて親に向けて手紙らしい手紙をくれた
11歳・小6
11歳・小6
担任と筋トレや運動を毎日行ったことと、成長期が重なり、ふくよかだった体型がスッキリし出す
パニックの際に、暴言や大声で叫びながら地団駄を踏んだり、母(たまに弟)を叩くが、成長と共に力が付きかなり威力が上がる
だがパニックになりっぱなしではなく、その後反省して謝ってくるようになる
この頃からピアノを習い始める
幼い頃から楽器や音楽が好きだが教えてもらえる先生がいるとは思わず諦めていた
自分の好きな曲を好きなタイミングでしか弾かないので、運指などは自己流でありクラシックは弾けない
楽譜通りに弾くよりも自分で考えたコードなどで弾いたり、弾き方は自由である
好きで遊んでいる3DSソフトのバンドブラザーズPのように、既存の曲をコピーして弾くのが好き
小学校6年間の音楽会や運動会などの大型行事は普通学級同様に参加していた
歌や楽器の演奏も、演し物のソーラン節や組体操なども補助なく上手にできていた
入学式の頃は奇声をあげていたが、卒業式では静かに過ごし進行を理解できるようになっていた
入学の頃と卒業の頃のでは別人のように発達面の成長を遂げたが、その成長は小5、小6の2年間が圧倒的に伸びたように思う
中学校入学
12歳・中1
12歳・中1
支援学校へ行くか、地域の中学校へ行くか迷ったが、地域の中学校の支援学級に進学する
部活動は美術部に所属し、部活動のある日(平日ほぼ毎日)は参加していた
部活動の課題で作成したポスターが地域のポスターとして採用され地域で掲示された
夏休みの宿題のポスターコンクール応募で、優秀賞になり県知事より表彰される(赤十字ポスターコンクール)
ずっと絵を描くのは大好きだが、見本が必要で基本的にキャラクター模写などがメインであった
そのため、あまり公募展などに出したことはなかった
13歳・中2
13歳・中2
1人でもできる家事が増えることで生活する力がついてくる
たまに料理を一緒に作る程度であったが、洗濯物を干したり、食器を洗ったり、掃除機を使って掃除をしたりできるようになる
野外活動で自転車に乗る必要があったため、この頃に特訓して今まで乗れなかった自転車に乗れるようになった
この頃には基本的な余暇活動はほぼルーティンになっていて、大人になった今でも同じことで遊んでいることが多い
だいたいが3DSでバンブラPで音楽を制作しているか、マリオで遊んでいるか、絵を描くかといった様子だった
14歳・中3
14歳・中3
コロナが蔓延し、学校が休校になったりステイホームにより家で過ごすことが増えたため、生活力がさらに伸びる
私が仕事に行っている間なども自ら率先して家事を行ったり、ピアノを弾いたりと、自身の時間の使い方を考えられるようになった
また、新たなことにもチャレンジするようになり、それまで苦手であったオリジナル作品を創作するようになった
オリジナルのキャラクターを創作したり、オリジナルの曲を作曲したりするようになった
せっかくなので自分のオリジナリティに自信を持ってもらえればいいなと、LINEスタンプを作ってもらい販売してみた
この頃には大きなパニックを起こすことも随分減り、地団駄や暴言、他傷行為などもほとんどなくなった
中学校3年間は小学校の頃より授業における通常学級と支援学級の交流は減った
実技教科や給食、体育祭のような大きな行事などは一緒に参加していた
授業は基本的に支援学級で行うことが多く3学年まとめて学習したり、何かの作業などに取り組んでいた
小学校では発育面と発達面が伸びた『成長期』であったが、中学校では心の部分の精神面が伸びだ『成長期』だったように思う
パニックの起こし方も、イライラをぶつけてくる類のものはかなり減っていった
自身の中で納得するために意味のない言葉を羅列してブツブツ言うだけになるなど、かなり変化が見られた
創作物だけでなく、言葉や考え方にも少しずつオリジナリティが生まれ、表現したり具現化できるようになった
自身の強みが増えたことも大きかったように感じる
支援学校高等部入学
15歳・高等部1年
15歳・高等部1年
特別支援学校の高等部へ入学し
就職を目指すための学習が課題であるクラスに振り分けられる
学習内容は、ビルメンテナンスや喫茶(喫茶における調理や接客など)などの学習作業が含まれる
コミュニケーション能力と正確性、理解力が求められる
息子には学習内容が難しく、できることよりできていないことが多く、すごく疲れていた
息子の様子を見ていて心苦しく、2年生時よりクラスの変更を申し入れた
16歳・高等部2年
16歳・高等部2年
2年生時より社会で生活していくための学習が課題であるクラスに変わる
学習内容は、ビルメンテナンス(ほぼクリーニング)、農作業、さおり織や陶芸などの学習作業が含まれる
社会で働くための基礎的な知識や体力などが求められる
息子はビルメンテナンスと農作業をメインに学習していた
1年生時より自分のペースで作業学習に取り組むことができたため、楽しそうに過ごしていた
17歳・高等部3年
17歳・高等部3年
2年生時と変わらず社会で生活していくための学習が課題であるクラスで過ごす
卒業後の進路を見越し、企業や特例子会社、A型・B型事業所などでの現場実習が学習に入ってくる
息子は卒業後は自立訓練施設(学校のような形態をとっている事業所)への進路を目指した
そこは定員があり受験システムで決定するため面接や筆記試験などを秋頃に受け、無事合格
進路も決まり卒業
支援学校高等部の3年間は働くための作業学習など社会人になるために必要な学習がメインであった
小中学校の支援学級と違い、学校全体に支援が必要な子がいるため、先生の配置も生徒2〜3人あたりに1人と手厚かった
大人になってどんな仕事がしたいかというより、何ができるのかといったことを模索する3年間でもあった
「卒業=働く」が当たり前であるが、本人は学生を続けたい願望があったため、進学のように感じれる進路へ進むことにした
パニックはかなり落ち着き、滅多に大きなものは起こさなくなっていた
こだわりは、皆勤にこだわるあまりに体調不良を隠して登校しようとするなど、少し強迫観念気味になっていた
現在
自立訓練施設
18歳・19歳
施設とはいえ、学校のようなシステムになっており、長時間ではないがコマ割り授業を受けるように1日過ごしている
高等部の3年間で行なっていた作業学習などは一切なく、自分で学びたいことを見つけて調べて研究していくなどを行なっている
体験型の授業も多く、講師の方が来て受ける授業や野外活動やスポーツ大会などもある
また、生活に必要な外食、銀行、交通の利用などを自ら行えるような学習も取り入れている
通える期間は2年間限定で、学生の青春の部分を切り取ったような生活を送っている
障害者は、高校を卒業すると社会に出る以外の選択肢がほとんどないのが実情
本人の「大学生になりたい」という希望通りにはいかずとも、少し猶予があってもいいのではないか?と思いこの進路にした
青春を味わう生活を送っている影響か、砕けた話し方をしたり、会話がそれまでにないキャッチボールの仕方になってきた
息子はもともと親にも丁寧に定型文を話すように喋るので、これは嬉しい副産物になった
2年間しか通えないので、現在は次の進路に向けて模索中である