自閉症と発達障害 長男のこと

自閉症・発達障害の子の産まれた時は?どんなだった?

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自閉症・発達障害の子の産まれた時は?どんなだった?

障害がある子の小さい頃ってどんな様子だったか、どう育ったのか知りたいな。

長男に障害があるかも・・・?

と、違和感を持った頃にわたしはとりあえず、その障害のことをネットで調べたり、本を探して読んだりしていました。

ここにたどり着いたあなたも、その一人ではないでしょうか?

我が子や自身に関わりある人に障害があると知ったら、特に幼い子だったら、

どのように成長していくのか、どのように子育てしたらいいのか、どう関わったらいいのか、が気になるのではないかと思います。

うちの長男の場合になりますが、記憶をたどって文章にしていきますので、よかったら見ていってください。

長男は、知的障害を伴う自閉症・発達障害です。あくまでその一例と思って読んでくださいね。

だらだら読むのめんどくさいなー

って方は、長男の成長の時系列だけをまとめたこちらの記事へ。

この記事では、 長男が産まれた時 のことを書いています。

このままだと母子ともに危険です。

って、お医者さんに言われたんですよね。

ドラマか?と思いました。でも本当の話なんですよね。人生で言われることあるんだそんなことってやつです。

その日は妊娠35週と3日。少し涼しくなって秋になった頃でした。

なんだかカラダの様子がおかしい!陣痛?おしるし?といった様子で出産予定の病院へ行きました。

すると胎児の状態が良くなさそうなので母体のまま救急車で搬送しましょう。と、こども病院へ。

この時点でも、おおごとになっていることに驚きと恐怖だったのですが、こども病院へ搬送されて冒頭のセリフを言われることになるのです。

私の人生でも、1、2を争う緊張と恐怖を長時間感じた日になりました。もちろんそれを超える喜びも。

産気づいた時の様子

陣痛?わからなくても違和感があればすぐ病院!!
実は、出産前夜に背中から腰にかけて鈍痛があったんですが、後期に入ると腰が重くなると聞きそういうものだと思っていました。

しかし深夜にかけて激痛にかわり、陣痛なのか?と、痛みの波の感覚を計ろうとも、お腹ではなく背中があまりにも痛くて、背中の激痛が引くとお腹に痛みがくる・・・といった状態でした。

陣痛の周期もわからず、こんなんで病院へ連絡してもまだって言われるんかな。

とか考えていたら、朝を迎える頃におしるし(微量の出血)がありました。

病院へ連絡したら、いますぐ来てください。
とのこと。

朝には痛みは少し引いてて(ただ痛み過ぎて麻痺してただけ)
まだまだ掛かるから大丈夫。今日は長くなるから、朝ごはん食べといたほうがええよ。(とても食べる元気はない)
と言う経産婦の母の様子に合わせて、病院へ行ったら遅かったことを看護師さんに叱られてしまいました。

おそらくわたしは痛みに強くて、出産経験者はみんな我慢している痛みだと思っていて、3人子供を産んでいる母からしても陣痛が始まったところだし、痛いと言うてても動けているわたしを見て、まだまだ時間が掛かると思っても仕方なかったんだろうなと思います。

そもそも正常な陣痛ではない状態だとは母もわたしも、考えてすらしていなくて、当たり前に普通の出産をするものだと思っていました。

いま思えば
背中の激痛は下記の肝機能異常の方の痛みだったんですよね。
お医者さんに相当痛かったはずなんだけど、よく我慢していたね。
と言われました。

陣痛とダブルの痛み。そらそうだ。痛いに決まってる。

安易な救急連絡はよくないですが、我慢しすぎもよくないなと反省しました。

もしかしたら、もっと早かったら息子への影響は少なかったかもしれないと思えば尚更ですね。

必死に危険信号を胎内から送り続けてくれていたのに。

それくらいに初めての出産はわからないことだらけでした。

痛かったらすぐに病院へ行きましょう。

そんなこんなで出産予定だった病院から、こども病院へ救急搬送されました。

こども病院へ到着するやいなや、エコーや心音を調べてもらい、慌ただしく検査や処置がされていきました。

そして説明を受けるために小さめの会議室のような部屋へ通されます。

診断結果は

  1. 子宮内胎児発育遅延
  2. 妊娠高血圧症候群
  3. 切迫早産
  4. 胎児の元気がない可能性
  5. 胎盤内血栓の疑い
  6. 肝機能異常
  7. 凝固機能異常
  8. 臍帯過捻転

とくに「胎児の元気がない可能性」って、なに?状態です。

ちなみに、この出産前の最後の健診時には少し小さめだが問題なく育っている状態でした。

この診断時には、すぐに産めるほど陣痛は進んでいなくて、文字通り胎内の息子は元気がなくなり衰弱する一方。

わたしの状態は、妊娠状態がなくなったら(出産したら)症状も完全に回復する状態。

このままだったら母子ともに危険なので、すぐに緊急手術が必要。

でも手術をして産むか、自然に陣痛が進むのを待って産むかどうかは、あくまでわたし(と、父である旦那)の意思。

とお医者さんから説明され、手術同意への決断をしましょうと言われました。

「そんなん、同意を拒否る人おるんか?」と即サイン!

しかし、緊急帝王切開の同意書には旦那のサインも必要・・・!!

しかし出張でいない!!!

なんて間が悪いんだ旦那・・・!!!!

お医者さんと旦那が電話で話して同意をもらい、付き添ってくれていた母に代わりに同意書にサインをしてもらい、緊急帝王切開にて出産となり長男は産まれました。

サインして貰える人がいなかったら、どうなるんや?と感じつつ、母子ともになんとか窮地を乗り切りました。

手術の様子と術後

手術と決まると、あっという間に次々と用意されていき、いかにも緊急手術といった様子でした。

診察台へ上がると、あちこちから看護師さんやお医者さんの手が出てきて、剃毛したり尿管に管を入れたり、麻酔を背中に入れたり…と一気に処置されていくスピードが凄かったです。

そんな中でも絶えず看護師さんや助産師さんが優しく声を掛け続けてくれました。

さすが毎日周産期センターで様々な手術をしてるのだろうな、と極度の緊張の中でも任せられる安心感がありました。

処置が終わると流れるようにストレッチャーに移され、いざオペ室へ。

オペ室前の廊下だと思うのですが、母と歳の離れた弟(当時5歳)、慌てて駆けつけてくれた祖母が心配そうにしていた気がします。

ちなみに後からわかるのですが、この幼い弟が気の毒な目に遭っていました。姉が”死ぬかも知れない”と目の前で救急車で運ばれて行き、朝早くから病院へ連れて来られた上、夜まで大人しく待って(母は検査や説明に付き合ってくれていたため祖母と)よくわからない時間を過ごし、異様な空気感に飲まれた結果、弟はかわいそうにトイレへ行きたいことも言えず、おそらく母も祖母も気が動転して弟がトイレへ行っていないことまで気にしておらず、急所が腫れ上がるという事態になっていたそうです。暫くして治ったから良かったものの、後から聞いて「あの時は巻き込んで本当ごめん。弟ええ子過ぎるて。」て今でも思ってます。

そしてついにオペが始まり、ほどなくして息子が産声を上げました。

え?フラッシュ!?いまカメラ撮った?
こども病院での出産なので通常の帝王切開に比べて特殊だったと思うのですが、手術室へ入ると壁際にたくさんのお医者さんが並んでいました。

研修医とか勉強されている方が立ち会っていたんだと思うのですが、たくさんの人に手術の様子を見られているのは、奇妙な感覚でした。

いざお腹を開いてみてはじめて、わたしの子宮が双角子宮という形の子宮だとわかりました。

子宮の形は通常は洋梨型なんですが、わたしの場合はハート型の奇形でエコーではわからない程度のようでした。

実際に後から写真を見せてもらったんですが、見事にピンクのハート型でした。(子宮の機能を考えたら、いいものでもかわいいものでもない)

術後、入院中に主治医から症例を学会に発表したいとあり同意しました。写真が残っていたのもそのせいだと思います。

術中に「ん?なんか撮られてる??」とフラッシュと音で何となく気づきましたが、初めての出産と手術でそんなものかと思っていました。

次男の出産時に普通は写真を撮ったり、異様な数のお医者さんが立ち会うとかないのだなと改めてわかりました。

どうせなら、わたしの症例が活かされてるといいなと思います。本当に発表されていたかはわかんないですが。

フラッシュはよくわからんけど、よかった!ちゃんと生きてる!!

この時は、無事に産まれたことがただただ嬉しかったです。

術後しばらくして、旦那が出張先から急ぎ帰り病院へやってきました。

息子との面会を終えた旦那の顔を見て

あー。“なにか”あったんだな・・・

と思い、「なんかあったん?」と旦那に聞くと

出産直後のわたしを気遣って、「明日な。よくがんばった。とりあえず今は休み。」と濁した感じで言いました。

もや…もや…

と、すっきりしない気持ちと術後の熱とで、うまく眠れずに夜が過ぎていきました。

こんな産まれ方をしてなにもないわけがないよね。と。

翌日、息子と面会できたわたしは、小さくて細くて宇宙人みたいな息子を見て、その小ささに驚きました。

1518g

この2日目の面会時には1420g

ごめんね。栄養がうまくいかなくてお腹の中でしんどくなったのを教えてくれて、ありがとう。

って思いました。

よく生後の赤ちゃんをとある有名人に例えて〇〇さん似みたいなのありますが、そんなのには程遠くとにかくガリガリで肉付きがなかったんですよね。

目がギョロッと大きく頬がこけていて宇宙人のような顔でした。

ちなみに身長は39.0㎝でした。

前日の”なにか”

旦那と揃って、お医者さんから息子についての説明を受け、前日の”なにか”について聞くことができ

尿道下裂

という、尿道に奇形があるということがわかりました。

息子はその中でも重度だったので後々手術が必要だと言われました。(息子の尿道下裂と手術についてはこちらの記事へ)

聞いたこともなかったですし、旦那と不安な様子でいると、すぐに手術の時期や内容、予後のこともお医者さんが教えてくれました。

でも命に関わるとかそういうことではなくて、全身検査してもらって他の異常はなく、ショックはありつつも無事に生きていることにホッとしました。

”なにか”の覚悟もある程度してたので、他にもなにかあるかも、脳や心臓は大丈夫なの?と思い聞きましたが、この時点では育ってみないとわからない状態でした。

この頃のわたしは、発達の遅れや知的障害についての知識が全くなくて、生まれた時点で大丈夫なら大丈夫なのかもと、少し気に留める程度でした。

なんだったら脳や心臓以外にも大事なところは無限なんですけど、それ以外に思い当たらんほど若くて無知でした。

息子は出生後はNICUで一夜を過ごし、わたしと面会する頃にはGCUに移っていて、退院するまでGCUで過ごしていました。

このGCUはドラマで観るような新生児医療の現場って感じで、息子の他にも何人も産まれたての新生児が保育器に入っていたり、少し大きくなった子たちもいました。

様々な医療機器があったり、面会の時には消毒はもちろん、医療用のネット帽やエプロンを着用したりしての入室が必要で緊張感がありました。

息子は数日で保育器から出た後は、点滴や機器のコードなどもわりと早く取れ、よく新生児の入っている透明のベッドみたいなので寝たりしてGCUで過ごしていました。

NICUとは新生児用の集中治療室で、GCUとはNICUでの治療を終えた新生児が退院に向けて治療したり過ごすところとのことです。(2005年当時、いまは違うかも)

親子バラバラでの退院

わたしは先に退院し、その後もしばらく息子は入院が続いていたので、毎日病院へ通っていました。

自宅から通える場所にこども病院があったのは、この時もこの後もすごく助かりました。

病室へ入る時は消毒して緑色の不織布の防護ガウンなどを着て面会していました。

はじめは病室の環境と我が子のあまりもの小ささに緊張していましたが、次第にリラックスして面会できるようになりました。

毎日通っていると、他の親御さんの話を聞く機会もあったりして、場所が場所だけに壮絶な話も多かったです。

本当に親子とも命があったことに、ものすごく感謝しました。

そして順調に体重も増えて行き、産まれてから25日後に息子は退院できました。

退院の時、お医者さんに

小さく産まれた子は大きくなりすぎやすいから気をつけてね。

と言われ、元気づけるために言ってくれてると思っていたんですが、いまになると言葉通りの意味だったとわかることになります。

現在の息子は太り過ぎってやつです。あんなに小さかったのに。

ところで、わたしの体は産後ほんとに元に戻ったのか

産後のわたしの状態
わたしは8日ほどで退院でき、出産前にお医者さんに言われた通り、息子を産んだらちゃんと回復していきました。

あんなに痛かったりおかしかったのに、症状が残ったり悪化したりしないことに医学の凄さに感動すらしました。ありがとう、お医者さん。

息子より先に退院した後、毎日息子に会いに病院へ通っていました。

入院中もそうだったのですが、お乳を吸う力が弱くてなかなか直接おっぱいから飲めなかったのと、常に側にいるわけではないので、搾乳してはお乳を冷凍してそれを病院に毎日持って行っていました。

息子はそれを温めて哺乳瓶で飲む、足りない分はミルクを飲む、といった様子でした。

術後もすぐに動きまわっていたので、痛かったりしんどかったりもあったように思うのですが、そのおかげかほんと回復も早かったです。

肝機能異常の診断はありましたが、回復してからは飲んでも大丈夫とのことで、お酒も問題無く適量で楽しめています。

生まれてから退院まで、問題が少なかったわけではないですが、命あることに感謝しつつ日々過ごしていました。

無事に生まれてきてくれて、ほんとにありがとう。

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