
障害がある子の小さい頃ってどんな様子だったか、どう育ったのか知りたいな。
長男に障害があるかも・・・?
と、違和感を持った頃にわたしはとりあえず、その障害のことをネットで調べたり、本を探して読んだりしていました。
ここにたどり着いたあなたも、その一人ではないでしょうか?
我が子や自身に関わりある人に障害があると知ったら、特に幼い子だったら、
どのように成長していくのか、どのように子育てしたらいいのか、どう関わったらいいのか、が気になるのではないかと思います。
うちの長男の場合になりますが、記憶をたどって文章にしていきますので、よかったら見ていってください。
長男は、知的障害を伴う自閉症・発達障害です。あくまでその一例と思って読んでくださいね。
だらだら読むのめんどくさいなー
って方は、長男の成長の時系列だけをまとめたこちらの記事へ。
この記事では、 長男に障害があるかも?と気づくまで のことを書いています。
1歳まで順調に育っているように見えていた
最初から育児が大変だったのでは?
いいえ、じつは
育てやすいとてもいい子
だったんですよね。
もちろん普通に泣いたりぐずることもありましたが、基本的に夜泣きも少なく、起きている時も機嫌がいいことが多かったです。
いま振り返れば、人に興味がなく自己完結の世界だったのかなと。
お腹が空いた、オムツが気持ち悪い、なにか体に異常がある・・・
といったこと以外で、訳もわからずにずっと泣いているなんてことは少なかったように思います。
次男を育ててみて、赤子とは訳もわからず泣く生き物だと思い出したくらいです。(歳の離れた幼少期の弟を見て知ってはいた)
気づくその時まで
出産の時のあたりだけを知りたい方はこちらの記事へ。
生後〜3ヶ月まで
産まれた時は1518gだった長男も25日経った退院時には2196gに。
なんだったら出生後1度体重は減るので、その生後2日目の1420gから考えると1ヶ月弱で結構大きくなりました。
入院中は毎日病院へ行っていたとはいえ、1ヶ月ほどバラバラで過ごしていたので、退院の時は本当に連れて帰って大丈夫なのか?
という不安がすごく、でもやっと一緒に過ごせる嬉しさでいっぱいでした。
退院後は、さすが病院で哺乳時間が管理されていた子。
といった様子で、日中も夜間も時間がしっかり決まっていて哺乳に関してやりやすかったです。
強いて言えば、直接哺乳する力が弱かったので直接吸ってもらえず、搾乳では限界が来て母乳が早々に出なくなってしまいました。
それが少し寂しかったくらいですが、母や自分以外の人にも授乳を手伝ってもらえて良かったのでは?とすら思います。
3ヶ月くらいまでは、基本的に寝ているか起きていても大人しく過ごしていることが多かったです。
母子手帳を見返すと「親の顔をじっと見返すか?」といった質問には、「いいえ」と書いてありました。
なのに、「あやすとよく笑うか?」といった質問には、「2ヶ月頃から」と書いています。
いま見たら違和感のある返答ですが、この時は個人差だろう程度に思っていました。
母子手帳に書いてあることってすごい。
引っかかる質問があるってことは何かしらある可能性に気付けるように書かれてるんだなって、いま見返すとよくわかる質問ばかりです。
もちろん、引っかかったから絶対障害がある!ではないですが。
それに生後3ヶ月くらいでそんなこと気にしないし、修正月齢で見るとかもあったので深くは考えてない頃です。
日に日に丸く肉付き、やっと赤ちゃんらしくなっていくことが嬉しくて、それだけでした。
今もある仕草なのですが、この頃から部屋の隅(斜め上)や天井、ぶら下がった電気をボーッと見てはニヤニヤしていました。なんか見えてんのかな?妖精とお話ししてんの?とか呑気なこと言ってました。赤ちゃんだし、と。「あやすとよく笑う」というより、この頃も自己完結で笑っていただけだったのかもです。実は特性が顕著に出ていた仕草の1つだったなと振り返って感じます。
3ヶ月〜9ヶ月まで
3ヶ月頃より赤ちゃんはぐんぐんと更に発達と発育をしていくのですが、息子の成長には少しムラがありました。
しかし、この頃はものすごく分かりやすいムラでもなかったです。
病院からも早産なので修正月齢で考えようね、と言われていたので、多少遅くても気にしないようにしていたのもあります。
知識がついた今なら、そう言えば…程度のものです。
- はじめての熱で39.7℃、突発性発疹と診断(4ヶ月)
- 保健所の4ヶ月検診で心雑音で引っ掛かる → 検査結果は機能性心雑音で胸を撫で下ろす
- 首が座り、腹ばいで頭を持ち上げれるようになった(4ヶ月半頃)
- 下の歯が2本生えてくる(5ヶ月頃)
- 寝返りに成功(7ヶ月になる手前)
- 喃語のような声を出す(7ヶ月頃)
- ずり這いでウロチョロするようになる(8ヶ月頃)
- 支えなくおすわりができるようになった(9ヶ月頃)
- ガラガラにはあまり興味がない、が、全てのおもちゃに興味がないわけではなく他で遊ぶ様子は見られた
- いないいないばぁ等、あやすと喜んでいた
- タオルの角をよく噛んだり吸ったりしていた
- 基本的にひとり遊びでご機嫌だった
- 起きている間、無駄に泣いたりグズったりすることがなかった
- 夜泣きというより、泣くこともあれど、キャッキャッと1人で笑ったり騒いでいることがあった
6ヶ月頃に身長も体重もグラフの平均の曲線に入り出しました。
まだ平均の下の方でしたが、やっと成長が追い付いてきたことが、すごく嬉しかったです。
歯だけは平均より早く生えてきてびっくりしました。
というように、“発育”の成長はわりと順調だったわけです。
成長を見るには赤ちゃんの頃から”発育”と”発達”の2つの要素があるとはあまり知らなかったんですね。
9ヶ月〜1歳3ヶ月まで
自分で動けるようになって、行動範囲も興味の範囲も広がり出すこの頃、後追いがはじまりました。
多少の遅れはありつつも、私のことを理解している様子もあったし、順調に成長しているように感じていました。
身振りや模倣といったものができているのか、できていないのかは微妙でした。
やっている?ように見える、真似しているように見える。といった、曖昧な様子でした。
「おいで」や「ちょうだい」など、こちらが言う言葉は理解しているように感じていました。
実際は、”言葉”というより”動作”(手を出してんな、広げてんな)でなんとなく動きを合わせていたのかも知れません。
- つかまり立ちができるようになった(10ヶ月頃)
- つたい歩きはつかまり立ちと同時(10ヶ月頃)
- ハイハイはほとんどせず、ずり這いからつたい歩きへ移行した
- 1人で上手に歩く(1歳2ヶ月頃)
- CMや乳幼児向け番組を観たり、音楽に合わせてカラダを揺らしたりする
- 小さなものを掴む、どこから見つけたのか小さなホコリの塊とか握ってた
- 物をわざと落として拾ってもらう遊びにハマっていて、拾うと喜んでいた
- 離乳は順調に進み、ストローやコップ、スプーンも上手に使っていた
- 「どうぞして」に合わせて持っている物を渡してくれたりしていた
- 「バイバイ」は上手には、手を振れていなかった(横にヒラヒラというよりブンブン、しかも気が向いた時だけ)
相変わらずの行動としては、タオルを持って角を噛んだり、部屋の隅やくうを仰いでニヤニヤしていました。
発育面では、1歳を迎える頃には平均の中央値まで近づいていて、遅れを忘れるほどに育っていました。
歩き出したのもそこまで遅れず、1歳になった頃も変わらず、ゆっくりながら順調に育っているように感じていました。
しかし、修正月齢をもって考えても、「まだできないのかな?」と感じる内容がだんだん出てきだします。
気づかないようにしていた
もちろん意図的にではなく、”無意識に”ってやつです。
なんとなくの違和感が増えていたはずなのに、早産だしな、ゆっくり見ていこう。
と、私も家族も無意識に”気にしないようにしていた”ら、”気づかないようにしていた”ことにもなっていました。
そこでやってきたのが、私の幼い頃からの友人です。
気づく時が来た
言いにくいことを言うって勇気がいる
生まれた頃から息子の様子を知っていた友人。
わたしの幼い頃からも知っている友人。家族もよく知る幼馴染です。
息子1歳3ヶ月の頃、その友人がうちに遊びに来て息子と触れ合って帰り際に一言。
「一度、保健所に相談にいった方がいいよ、発達が遅れてる」
その瞬間は、”発達の遅れ”なんてよぎったこともなかったので、”寝耳に水”状態でした。
が、わりとすぐにスッと腑に落ちたのを覚えています。
その時は実家だったので、たまたま横で聞いていた母と妹は「なんて酷いこと言うんや!」と怒っていました。
でも、「いや、言われてみればそうかも知れん。確かに気になるとこあるし、保健所に連絡してみるわ」となだめたのも覚えています。
あとから旦那に伝えても、母たちとまぁ似たような反応でした。
でもあまり育児に率先して参加のタイプではなかったので、わたしが気になるなら連絡したらいいやん。
といった姿勢でした。
ここから”障がい”を知り、向き合っていく日々が始まっていきます。
ついこの間、この友人と遊んだ時に当時を振り返って、改めて感謝を伝えました。
普段から結構バッサバッサと言いたいことを言う人ではあるのですが、流石に言いにくいことだったろうなと思います。この頃の友人は大学で福祉の勉強をして、福祉関係の仕事に就いたとこだったと思います。専門分野とはいえ、まだ経験も浅い中よく小さな気づきを見逃さず、しかも勇気を出して言ってくれたなと。この後の1歳6ヶ月検診でも、きっと引っ掛かったとは思いますが、少しでも早くから動けて心構えができたこと。勤勉な友人に本当に感謝しかないです。
もどかしい時間は続く
保健所へ連絡するとすぐに保健師さんが相談に乗ってくれ、月に1回開催している区役所での親子教室を案内されました。
なら通おう。と、1歳4ヶ月から親子教室へ通い始めました。
また、早く集団へ入った方が良いとのことで、保育園へ入れることも勧められました。
ただ問題があって、保育園って就労をしていないと通わせてもらえないのですよね。(いまは変わっているかもですが)
なので早速、保育園への申請を出しましたが、この時は仕事をしていなかったので、就活中といった状態での申請でした。
保育園は、発達の遅れの可能性があるといった部分を多少は考慮してくれたのか、暫くして入所が内定しました。
1歳6ヶ月検診も近かったのでそこでも見てもらうとして、同時に子ども病院への相談もしました。
1歳までのフォローアップが終わった後も受診している科があったため、そこから案内して貰えました。
こんな感じでまずはできることから始めたのですが、ここからどうしたらいいのか?といった状態が、しばらく続きました。
診断は慎重に
この段階では、どこに相談や診察に行っても「遅れがある」や「障がいがある」とは言われず、「ゆっくり気味ですね」といったような濁した言い方をされます。
そもそもできる検査も限られてしまうと思うので、検査自体も難しいのかも知れません。
そして診断を付けて確定してしまうのには、まだ幼すぎます。
たんに発語などの発達や発育がゆっくりなだけで成長と共に追いついた、というお子さんも全然いると思うので一概には診断できないのだと思います。
よく、「男の子は発語が遅い」とか聞くことないですか?
これで、長男はうちの母の目をすり抜けていたのかもですが…
そして診断はなくとも、集団への参加や教室へ通うようには勧められるので、自身で判断して察して行動するのが当たり前といった、もどかしい状態になります。
無事に退院して順調に育っていると思っていた息子。
友人の助言もあり、1歳頃からの違和感に気づいて動き出しました。
でも、すぐにはどうすることもできずに日々ゆっくりと成長するのを待つしかなかったです。
もしかしたら、この子は本当にただのゆっくりさんで、いつか普通に追いつくのかも知れない
と一縷の望みに縋ってみたり
この子は一生、話したり普通のことが何もできないのかも知れない
と可能性を全否定してみせたり
と、毎日考えて考えて過ごしていました。夜はとくにヤバかったです。
このように診断がつくまでは、変に期待もしてしまったり、やたらと悲観してりしていました。
解決も解消もされることのない悩みと不安だけが積もる一方でした。
あと、専門的に相談が継続的にできる場がなくて、手探りすぎたのも不安を増長させていました。
そして、1日、1週間、1ヶ月、と過ぎていくと、どんどん発達の遅れを感じてまた更に不安になるのでした。
あースパイラル。
次は、 長男に診断がつくまでの日々 です